切り捨てることなんかそもそも出来ない

“趣都秋葉原”終了の予兆としての破廉恥パフォーマンス - シロクマの屑籠(汎適所属)

 最近の秋葉原記事を追いかけているうちに、「ああ、警察介入を招くまでもなく、趣都アキバって終わってるんだな」と私は感じるようになった。「ディープでカルトなオタクが集まる街」としての秋葉原ってのは、もう終末期に入っていて、オタク文化を濃厚に感じ取れる“旬”は過ぎているのだろう。少なくとも、秋葉原オタク文化を理解する人だけが集まる街としての“シャープさ”を急速に失いつつあるんだろうな、と思う。

秋葉原とオタクの歴史 - 或るオタクの遠吠え-Over the Rainbow-
ガノタもヌルオタもミリオタもカメ小もオタクである。他を切り捨てて自分だけいい格好しないで頂きたい。


 『切り捨てるな!』なんて言うまでもなく、そもそも切り捨てることなんか出来ない。
 外から見ればどんなオタクでも一括りにオタクでしかなくて、全員キモイと思われている*1id:p_shirokumaさんの言うような差はもちろん考慮されない。また、id:heartless00さんが記事の中で書かれている定義も所詮はオタクのオタクによるオタクのための定義であって、実際はもっともっと範囲は広い。内面がオタクじゃなくたって、外見がオタク臭かったらもうオタクと認定されたりするのが普通だ*2。だから『切り捨てている』なんて意見はそもそもオタクの意見でしかない。端から見れば、みんな一緒だ。そしてその中で目立つやつが、全体の色を勝手に決める。
 だからこの問題は、『嘆かわしいことだ』だとか人ごとみたいに言うのは自分の首を絞めているのと同じだし、『全員同じオタクなのだから』って言い方も単に論争を呼ぶだけで先には進まない。この場合『人ごとじゃないんだよ。君も僕も同じくキモイんだから』というのが正しいと思う。……身も蓋もないけれど。

*1:イケメンとかそういう特異なのはもちろん例外

*2:そのオタク臭さだってもう捉えられかたは千差万別で、最終的には顔だったりする