自己責任主義の終点

1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。 - Attribute=51
「地道な努力」よりも、はるかに人生を好転させる努力の仕方 - 分裂勘違い君劇場
実録・自己責任教の信者たち - HINAGIKU 『らめぇ』
自己責任主義の人・・頼むから話を聞いてくれ - Over the Rainbow -或るオタクの遠吠え-


天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。(中略)されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。
その次第甚だ明らかなり。実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は、学ぷと学ばざるとによって出来るものなり。
 福沢諭吉曰く『天は人を平等に創った、しかしこの世は甚だ不平等である』。
 福沢諭吉曰く『その不平等の原因は学問である』。


 しかし現在、高水準の教育をこれだけ多くの人が受けられる世の中なのに人は不平等だ。福沢諭吉は素晴らしい人物だったが、彼の推測は間違いだったと言わざるを得ないと思う。
 ならば、人の上に人がいるのは何故だ? 簡単だ、それは能力のせいだ。様々な才能とそれを使いこなせる精神性、そしてその存在を許される環境。その全てを加味した上での能力だ。つまり、人は生まれながらに不平等であるということになる。


 だから人は死ぬまで不平等だ。そして死んだあとでも不平等だ。


 こんな事、わざわざ俺が言うまでもなくきっとみんな気づいてる。気づいているのに変わらない。何故か? スパイダーマンの映画で、ラストシーンにこんな台詞が出てくる。

大いなる力には、責任が伴う

 そう、責任だ。人は人は自分の能力に責任を負わなくてはならないはずなのに、そうしないのが原因なのだ。そして自らの能力に責任を負う代わりに、自らの行動の責任を負おうとする。そして同じ事を他人に求める。それは極論、社会の枠組みの範疇においては自分勝手に生きても良いと言うことだ。いや、社会の枠組みの範疇を超えて自分勝手に生きても良いと言うことだ。
  


 だからもし、自己責任主義が世界に蔓延したならば、それは真の意味で世界が不平等になったことの証になる。なぜなら、人間が能力的に不平等であるならば、それを自らのためにしか使わなくなったとき、人の世界はそれにつられて不平等になるからだ。
 

 そんな世界を好きだと言えるなら、自己責任って言葉を多用するが良いさ。それこそ自己責任で。