最近頭から離れないこと

 一週間ほど前、知り合いから、その知り合いが通っている学校の教師が末期ガンらしいということをきかされた。
 なんでそんな話が出てきたかと言えば、その知り合いが課題としてレポートの提出を求められたと愚痴ったことに始まる。元々その教師が行っている授業は、簡単に単位が取れるといわれていて、もっぱら楽したい学生が集まり、それにあわせた授業を教師もするモノだから、実際の所ただの時間つぶしにしかなっていないという、典型的な単位を稼ぐためだけの授業だったというのだ。それが、しばらく休講した後、まるで人が変わったかのように授業に力を入れ、申し訳程度だった課題にも力を入れ、学生に発破をかけるというやる気のある先生そのものになったというのだ。もちろん、元々そのつもりじゃなかった生徒達はたまったモノじゃない。だが、そういう生徒であるからもちろん単位はぎりぎりで、めんどくさいから休むというわけにも行かない。じゃあ、何でいきなりこんな風に変わったのかと思うのが自然な成り行きで、調べてみたらどうやら末期ガンらしいと。
 そんなことを、そのやる気のない生徒の一人である知り合いから聞いたわけだが、この何でもないような話が、未だに心にしこりを作っている。小骨が刺さったかのように、嫌な気分にさせている。
 その話が本当かどうかは分からない。まことしやかな噂、程度の話なのかもしれない。でも、俺はあり得そうだと思うのだ。この話があり得るなと思う。もし、俺が彼の立場でも、きっとそうしたんじゃないかなと思えるから、あり得そうだなと思う。
 人はいつだって、何かを残したいと思っているはずだ。それを裏打ちしているのが理性か本能かの違いはあれ、誰もがそう思っていると俺は思う。でも、実際に何かを残せる人間はどれくらいいるのだろう。今現時点で何かを残せている人間はどれくらいいるのだろう。何かを残せていると思える人間はどれくらいいるのだろう。
 彼はきっと思えなかったんだろう。何かを残せたって笑うことは出来なかったのだろう。だから、そうやって、いつもの自分を捨てて、そういう行動を取ったのだろう。
 でも彼のそんな切実さは、される側からはただのため息に変わるモノでしか無くて、愚痴に変わるモノでしか無くて、めんどくさいなといわれるモノでしか無い。それはすごくむなしいことだと思う。
 そして、最もむなしいのは、きっと彼自身それに気づいているだろうなという点だ。そのむなしさを知りながら、それをやらざるを得ない、彼の気持ち。
 それが俺には少し想像できてしまって、ずっと心の中にわだかまっている。わだかまっているのなら、それがなんなのかを考えたほうがいいのだろうけど、俺はそれをする気になれない。いや、本当は、彼のその行動を、一言で表すことが俺には出来るんだけれども、でもしたくない。
 陳腐な言い回しだけど、これから先の人生を考えたときに、その言葉を使ってしまったら生きていくのがつらくなりそうなきがするからだ。
 だからずっと心にそれがわだかまってる。そのわだかまりが消えないから、なんだか何をするにつけても身が入らない。このブログのために記事を書こうとしても身が入らない。
 本心を言えば、この文章を書いている今でさえ、身が入っていない。この文章がすごく汚いのは、自分でも分かっているんだけれど、直せそうにない。ずっと、そんな調子。そして、多分、これはしばらく続くと思う。