村落共同体における異人殺しと憑きもの信仰の本質的相違点


 要するに、共に専門的知識を持たない村民が持たないなりに共同体内部におけるある家の急な繁栄を説明したものだ。もちろんそこには「あの家はきっとろくでもないことをやって儲けたのに違いない」といった類の嫉妬心も込められている。


 だがそこには本質的な相違点が存在する。


 そもそも『憑き物付き』が何故疎まれたかといえば、それが共同体内部に害をなすものだったからだ。憑き物――要するに悪霊の類だが、悪霊の名のとおり悪さをするのだ。そしてその悪さは、他人の家から何かしらの財を盗み出して宿主に運ぶことだったり、他の家を没落させることだったりする。
 つまり、共同体『内部』において他から富を奪ってきて繁栄したのが『憑き物付き』。

 対して『異人殺しは』共同体内部に直接的な害は及ばさない。害を及ぼすのは外部に対してだ。異人という村の外から来たものから無理やり金銭を奪っている。
 つまり、共同体『外部』から富を奪ってきて繁栄したのが『異人殺し』。

 じゃあこういった説明の差が何故生まれたかといえば、つまるところこの二つの噂話が生まれた時代が違うのが原因なのだ。村落共同体は中世に比べて近世の方が外部に開かれていた。近世においては貨幣経済が浸透し始めたからだ。貨幣経済の浸透は外部との繋がりを促し、結果として内部との繋がりを緩めることとなる。
 そういった中世の未だ閉じた世界において富の移動を説明したのが『憑き物付き』であり、近世の外部に開き始めた世界において富の移動を説明したのが『異人殺し』なのだ。






 ってなことを、テレビでボンテージの女が「スケキヨ」とかやってるのを見てつらつらと頭の中でまとめてたのでどーせだから文章化してみたわけですよはい。