NTRが受け入れられた理由とリアリティーをあまり必要としない俺

2007-10-31 - Over the Rainbow -キモオタの遠吠え- ライトノベルに現実感が求められる事情

苦しさが消えた代わりに退屈になってしまったオタクたちの次の欲望は「劣等感を取り戻す」「日常(=現実)を取り戻す」ことだったのではないかと思います。

 これ、もろに今の風潮を当ててる気がする。最近『NTR(寝取られ)』ってやつが受け入れられ始めたけど、正にその風潮から生まれてきたって考えれば辻褄が合う。
 正直な話、NTRの良さって全く持って分らない。だからそれを楽しめる人は極々少数の人だけだと思っていたのに、最近はそれを好きだという人を結構見かける。本来オタクの世界って現実に馴染めないが故に虚構に走ることで成り立っているはずだから、この風潮は全く持っておかしいよなって漫然と思っていた。でも興味の湧く分野じゃないから「単に彼らの声が大きいだけ」とかそれっぽい理由をつけて深く考えなかったんだけど、この記事のおかげですとんと腑に落ちた。
 現実感を求めるオタクが、現実感を求め、しかし強い刺激でないと満足できないほど摩耗しているが故に、彼らは極論としてのNTRを求める。多分、コレでNTRが流行った理由に説明がつくはず。
 そしてコレに対応して、俺がNTRを受け入れられない理由も分った。

一つには現実が苦しい人間が現実を見ないために虚構を楽しむという旧オタクタイプ。
もう一つに現実がつらくなくても虚構をベタに頼める主体自体が記号化した新オタクタイプ。

 俺がもろに新オタクタイプだったからだ。別に現実が辛いだなんて思ってないし、むしろ楽しい。でも、それとは別にオタク文化が好きだ。面白いと思う。オタク文化の虚構は、現実世界であり得ないからこそ楽しいと思っている。リアリティーって所詮現実の模倣なわけだから、本気でそれを求めるならリアルで求めた方が早いし質も高いに決まってる。俺はそう考えていて、だから俺は、オタク文化にリアリティを過度に求めようとする感性が理解できなかった。
 通りで話が噛み合わないわけだ。俺と彼らは同じオタクでも違う人種だったんだから。何でもかんでもカテゴライズして分類分けしちゃうのは好きじゃないけれど、これはしておくべきだ。理解して動かないといけない。そうじゃないと互いの関係図が永久に変わらない。なまじ同じオタクだから、永久に理解し合えない。
 立ち位置を知るのは本当に大切なことだ。今度からこれを踏まえて上で動こう。そうすればきっと違うモノも見えてくる、ようなきがする。多分。