左翼と右翼と大衆と

 君らと彼らは仲が悪い。今までもそうだった。これからもそうだろう。なぜなら君らは自らの正しさを確信しているからだ。だから君らは、正しい自分から見て、正しくない彼らを否定して『だから彼らは必要ない』と『彼らは害悪だ』と口にする。口にしなくともそう思ってる。
 でも少し待って欲しい。本当に彼らは必要ないのか? 本当にあるだけで害悪なのか? 思想信条を全て捨てて同じ台詞を君は口に出来るのか? それは本当に大衆のためなのか?


 大衆は愚かだと君らはよく口にする。しかしそれは違うのだ。大衆は愚かなのではなく、愚かになるのだ。君らがたった一つの冴えたやり方を与え続けることで愚かになるのだ。君らが与え続けることに慣れた大衆は享受しかしなくなり、君らが変質した後も享受し続ける。それを愚かだと笑うならば、君らもまた愚かなのだ。なぜならば君らこそが元凶なのだから。
 だが勘違いしないで欲しい。君らを否定している訳じゃない。むしろ無くてはならないと思っている。そしてそれと全く同様に、彼らも無くてはならないだけなのだ。なぜならば大衆に必要なのはたった一つの冴えたやり方ではなく、考えなくてはならない選択肢だからだ。大衆は愚かにならないためにも、選択肢を必要としているのだ。自らの失敗ならば学ぶ余地もあるだろう、だが与えられた失敗ならばただ享受するしかない。失敗から学ぶためにも大衆は選択肢を必要としているのだ。
 議論するなとは言わない、非難するなとも言わない。むしろ、それは存分にすべきだ。それは君らが君らであるために必要なことなのだから。
 一つだけなのだ。してはならないことはたった一つだけ。それは『彼らの存在を認めない』ことだ。彼らを必要ないモノとして扱うことなのだ。それは君らのためにしかならない。大衆のためにはならないのだ。


 君らは賢い、それは認めよう。大衆は君らに比べて愚かだ、それも認めよう。だがそれを認めた上で、君らにもう一度訪ねよう。


 彼らは本当に必要ないのか? それは本当に大衆のためなのか? それは単に君らのためではないのか?


 大衆は君らを翼に例え、彼らも翼に例えている。その意味をもう一度考えてみて欲しい。