先人に学ぶ?

宮台真司×竹熊健太郎、新エヴァを語る-鈴木謙介(charlie)の逆襲- - Over the Rainbow -キモオタの遠吠え-


 日常を捨てて虚構に走ったのに、やっぱり最終的には日常を求めてしまうというのもなんだか悲しい話だなと思う。でもそう考えると、動物的であるのって意外と最適解に近いのか? 虚構を虚構として日常で消費するわけだし。ということは、ここで語られていた

一つには現実が苦しい人間が現実を見ないために虚構を楽しむという旧オタクタイプ。
もう一つに現実がつらくなくても虚構をベタに頼める主体自体が記号化した新オタクタイプ。

の新オタクタイプって、先人達の失敗から学んだ人たちなのかもしれないと思った。最終的にリアルに戻らざるを得ないならば、最初からリアルにとどまり虚構を虚構として消費する。そうすることで、ハムスターみたいにグルグル回って疲れることもないし、茨の道を行ったり来たりして傷つくこともない。それは一見退化だけれども、進化論から見れば立派な進化だし(進化論においてはそもそも退化ってモノが存在しない)。まあ、そういう風に生きると頭が悪く見えてしまうのがちょっとあれですけれどもね?