文系における専門家軽視の根本原因
理系においては結論がイコールであるからといって、全てが同じモノであるわけではないということは簡単に説明できる。例を挙げてみると
1+1=2…#
1×2=2…%
∴#=%
両者とも結論としては「2」が出てきてる。よって結論は両者とも同じモノだといえる。だが、それを導き出す過程は全くの別物だ。これはたまたまそうなったと言うだけであって、変数XとかYを使えば代入する数字によって値なんてすぐに変わる。つまり、この場合における結論が同じだからって、「かける」と「プラス」をイコールしているわけではけしてない。当たり前の話だ。
しかし文系の世界ではそれが結構起きてしまう。結論が一緒だから同じ考え、ってとらえ方は普通に起こりうる。何故か?
それは結構簡単な話で、要するに文系では体系立てた理論展開(万人にそれと伝わる文字式に似たもの。可視、って言うニュアンスが一番近い。もちろん出来るわけ無いけど)をするのが難しいことが原因なのだ。それができない以上誤解なんて簡単に生まれてしまう。観念的な部分が混ざる以上これはしょうがない。まあ、砕けた言い方をするなら「現代文なんてぶっちゃけ読み手によってとらえ方なんて簡単に変わるだろ」とか受験生が話しそうな類であるわけだ。そうである以上正確に捉えるのは酷く難しい。
そして、そんな両者の土壌によって生まれてしまうのが
理系は、過去の文献に当たってから自説を展開する。
文系は、過去の文献に当たらずに自説を展開する。
なんて差異なんじゃないかなと思う。そもそも文系においては正確な理解が難しいのだから、正確な照合も当然困難になる。つまり、自説を過去の文献に照らし合わせると言うこと自体が理系のそれに比べてずっと難しいのではないのが原因ではないだろか?
ってことを、たらたらと思いついたので、暇つぶしがてら書き殴ってみたわけですが、我ながらできが悪いなぁ……。
ちなみに思いつくきっかけになった記事はこちら
↓
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20070709
(追記)
sjs7さんとtetracarbonylさんから
"文系は、過去の文献に当たらずに自説を展開する。"はぁ?どこの文系の話をしてるんだ?/理系の方が圧倒的に「本」読まねーじゃん、読んでたらあんな素朴な科学信仰なんか出来るわけがない |
文系理系って考え方がそもそも……(以下略 |
というブックマークコメントをもらって、最初その批判が何を言っているのか、そもそもなんでそれを俺のブログで言うのかわからなかったんだけど、自分の書いた記事を読み直してみてやっと理解した。これ、俺の記事が誤解招きまくりな文章になっているのが原因だ。 orz
普通、文章を読み手が読解ミスした場合読み手が悪いんだけど今回は別。これは完全に俺が悪い。この文章を読解ミスするなという方が難しい。本当に申し訳ない orz
ですので、この記事がどういう内容なのかを説明しなおします。この記事をこのまま放っておくのはさすがに許されないので……。
もともとこの記事は
専門家軽視のツケ - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!
こちらの記事に反応して書いた記事なわけです。で、どの部分に反応したかというと引用文の引用になって申し訳ないですけれど
研究したいジャンルの基本文献や基本的な論文に当たらずに、「独創性」とか主張しても誰も聞いてはくれないんじゃね?先行研究に当たらずに、研究はできないよね? でもね、教育論や哲学だと、平気でそれをやるんだよ。 http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20070220#p2 |
理系のトンデモは馬鹿にされるけど、文系のトンデモは「率直な市民感情」とかいってむしろ尊重されたりする。教育学然り、法学然り、政治学然り…。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://fragments.g.hatena.ne.jp/Tez/20070709/p1 |
この二つ。もともと、『何故こんなことが起こるのか?』っていうのが今回の記事の趣旨なわけです。それに関する俺の考えが
要するに文系では体系立てた理論展開(万人にそれと伝わる文字式に似たもの。可視、って言うニュアンスが一番近い。もちろん出来るわけ無いけど)をするのが難しいことが原因なのだ。 |
そもそも文系においては正確な理解が難しいのだから、正確な照合も当然困難になる。つまり、自説を過去の文献に照らし合わせると言うこと自体が理系のそれに比べてずっと難しいのではないのが原因ではないだろか? |
この部分です。つまり俺の記事は、文系と理系という『分野』に関する記事なんです。
で、今回の俺の記事の何が誤解させたのかって言うと恐らく、文系と理系という『分野』に関する記事、って所が曖昧になってるところです。sjs7さんもtetracarbonylさんも俺の記事を読んで、理系男や文系男みたいな『分類』に関する記事だととらえてブックマークコメントをしたと思うのです(違っていたらすいません)。そう考えるとつじつまが合う。
そして、恐らく今回の諸悪の根源である、そんな風にとらえさせてしまったまったく持って最悪な文がこちら
そして、そんな両者の土壌によって生まれてしまうのが 理系は、過去の文献に当たってから自説を展開する。 文系は、過去の文献に当たらずに自説を展開する。 なんて差異なんじゃないかなと思う。 |
『で』が足りないよ『で』が! 理系『で』は、文系『で』はって言わなきゃ取り違えるに決まってるジャン! それに断定するなよ! しかも何で俺ココ強調して書いてるの?! これ、ただの引用部分の言い換えジャン! わけわかんねぇ!
……いや、もう、「これはひどい」とか「funny」とかタグついてるけど、記事内容はさておき、文そのものがひどいし笑えますよね。ホンとこれはひどいや! 自分でびっくり! しかもさらにひどいことに以前にheartless00さんが
そうか。私は文系だったのか・・ |
ってコメントしていて、誰がどう見たって取り違えさせちゃってるのは明白なのに、俺ってばそれを完全にスルーしちゃってる。思考回路が「おー、コメントくらたー。うれしー」で止まってた。いくら記事内容そのものには触れていないからって、これを見逃したのは俺の怠慢以外の何物でもない。
本当に申し訳ないです orz