「理屈屋は頭が固いって」いうならそれを論理的に証明して見せて


 この「理屈屋は頭が固い」ってフレーズは何故か知らないけれど多くの人が何の疑問も持たずに受け入れちゃって「あー、あるあるー。そうだよねー。技術研の橋田さん(仮名)もさー」とか乗っかちゃったりするわけですが、その根拠がまるで見えねぇと思った今日この頃いかがお過ごしでしょうか? ボクは暇です。(挨拶)

 「理屈屋は頭が固い」っていう理屈がさっぱり理解できないわけですが、でもそういう風に言われると言うことは何かしら原因があるわけで、じゃあその原因を究明してやろうと暇な理屈屋の俺が色々考えてみました。


原因その一・『自分の考えが通らない』

 理屈屋は理屈の通っていない考えを採用することは少ない。よって理屈を使えない、もしくは使うことを好まないタイプの人は理屈屋に自らの考えを肯定してもらえることが少ない。採用されなかった側が採用しなかった側を「頭が固い」と断定することはよくあること。


原因その二・『理屈よりも感情』

 「理屈はわかる。それが正しいのもわかる。でも感情がそれを許さない」とか小説で使われそうなフレーズ。感情論は論理に勝る。原因その一にちょっと絡んでる。


原因その三・『イメージ』

 恐らく論理そのもののイメージが「硬質」。よってそれを使う理屈屋も「硬質」なイメージをもたれてしまう。恐らくコレが最たる理由。


 恐らくこんな所。あげてみると意外と少ない。もう少しある気もするけれど、多分コレでほとんど。
 で、原因を究明したわけだから打開策も考えてみたけど……これ、どうしようもなくね? っていうか「理屈」そのものが原因になってしまっている以上対処のしようが無いような気がする。理屈半分感情論半分にすれば受け入れてもらいやすい気がするけど、もうその時点で理屈屋じゃないし。つまりあれです、ここまで考えてなんですが、結論として理屈屋は非モテから脱することは出来ないってことらしいですよ?

 ……え、何このオチ。貴方は生涯童貞ですと言われた気分なんですけど。